2年中西葉太郎
みんなもすなるブログといふものを、私もしてみむとてするなり。
石田悠太朗より紹介にあずかりました、中西葉太郎です。2回目のブログが回ってきました。2回目なので、自分カラー濃く書きたいと思います。
確かに、石田とは同郷で、彼は隣の中学校出身で、あるいは、お互いの実家は半径5キロ以内にあるかもしれません。同じ市内なので、彼とは同じチームで駅伝を走ったこともあります。区間順位は…きっと負けていました。
さて、今回は大学に1年半在籍したうえで、改めて自分自身の大学生活などについて書こうと思います。
と、その前に、趣味の話です。僕は読書が少しばかり好きです。万巻に至らずとも、書を捨てて街へ出るようなことは能わず、徒然なるままに気になる本を読んでいます。
今のところブログの最多文字数は1500字ほどなのですが、そんな読書経験を活かしつつ、僕もなるべく多く(あくまで常識的な範囲で)書こうと思っています。
完璧な文章はきっと書けませんが、お付き合いください。
『完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。』
閑話休題。
まず私の学生生活の状況についてですが、これは危機的状況、崖っぷち(あるいは、俯瞰してみればそれは既に崖の下かもしれない)といえるでしょう。1年生が終わった時点での取得単位および成績は夕立前の燕が如く低空飛行であり、果たして大学に在籍している意味があるのかと問われれば、答えに窮する状況でした。覚悟を決めて大学へ通い、2年生となり早数ヶ月。2年生後期ともなれば、自然と就職の話になります。これは人生において避け難い問題なのですが、私としては考えたくもないことであります。
毎日朝から晩まで、部下を労い、上司に諂い、同期との出世レースに勤しむ日々。考えただけで億劫ですが、然らずんば生きてゆけぬもまた事実。
かの有名なヘルマン・ヘッセは幼い頃、『詩人になりたい、でなければ何者にもなりたくない』と言ったそうですが、まさにその通り。
私も『高等遊民になりたい、でなければ何者にもなりたくない』と声高に宣言したいものですね。きっと、『そうか、そうか、つまり君はそんな奴なんだな』と周囲の人間より蔑んだ目で見られること間違いなしでしょう。しかしながら、三つ子の魂百までというのに、すでにこちこちになって屹立したこの精神を、この世に生を受け二十と半年、今更変えることなどできぬのです。
そんな唾棄すべき考えで、軽佻浮薄の極みたる私の将来はどこでどのように収斂するのか、誰か教えてほしいものです。
もっとも、教えてもらわずとも上手くいく未来は見えませんが。
しかしながら、曲げられない信念も当然持っているつもりではあります。地元に残ったライバルに陸上で負けるわけにはいきませんし、日々応援してくれている方々のためにも、速くなるために様々なことを日々考えて実行しています。
今年は初夏の頃から、とても良い練習が積めています。今まではこなせなかった距離、ペース、セット数etc.様々な面で過去を上回り、少しずつ結果としても付いてきているように感じます。特に、6月、7月は毎週成長を感じられるような月でした。尻上がりも尻上がり、尻が上がりすぎて地に足付いていないような感覚でした。調子が悪いということがなく、練習の度にその日の100%、いや150%の実力を発揮できるような状態でした。昨年、一昨年と悩まされた夏の不眠体質(主に中途覚醒)や発汗量が多いという体質による貧血、脱水症状など、夏の弱さを克服するべく徹底的に対策したおかげかなと思います。更には、合宿にも連れて行っていただきました。成長する上で絶好の環境で、様々な事を余すことなく吸収できました。
暑さに対して強い苦手意識を持つ中でもそれなりに走っていたおかげで、まるで世界中の冷蔵庫が一気に開け放たれたように涼しくなってきた今日日においては非常に調子良く走ることができています。そのささやかな印として、10月末の日体大記録会ではようやくの14分台を出すことができました。しかし、当然ながらこの結果ではまだまだ満足できません。印といっても、胸を張って印と呼べるほどの結果でもありません。ささやかです。ですから、まだまだ上を目指して走り続け、さらなる成長を遂げたいと思っています。
次回のブログは非常に彼女思いで、優しさ満点、3年生の鈴木さんです。
次回のブログもよろしくお願いします。



