1年 生田鼓太郎
みなさん、ごきげんよう。吉村智輝さんから紹介に預かりました1年の生田鼓太郎です。
簡単に自己紹介をしていきます。出身は兵庫県姫路市で、播州の秋祭りが有名です。私の名前も祭りの太鼓からとっています。高校は倉敷高校に通っていました。大学の一つ先輩の植月俊太くんと高校が同じで、よく遊んでいます。このブログを私の親も見ているらしく、正直見てほしくないです。
次に、私の19年間の人生について振り返っていこうと思います。
2005 年8月2日に3兄弟の末っ子として生まれました。昔から運動神経には自信があり、何をするにしても負けることはなかったです。
スポーツを始めたのが5歳のころで、気づいた頃には水泳を始めていました。水泳はただ泳ぎまくってただしんどいだけの地獄の練習でした。そして、小学2年生の時、兄の影響で野球を始め、毎日習い事をしていてあまりにもきつかった為水泳をやめました。その後、陸上を始めました。短・長距離どちらもしていたので、走り幅跳び、リレー、1500mの3種目で県1位でになりました。
こうした運動能力が身についたのは、いろんなスポーツをしてきたのもあるのですが、それ以外に生田家名物でもある軽トラ押しやバイクトレーニング、砂浜ダッシュなど少し変わった練習もしていたからだと思います。昔は最年少でSASUKEに出たいという夢もあり、少しの隙間でもぶら下がれるところがあれば懸垂をしたりしていました。
中学では、部活でバスケ部に入部し、それとは別で陸上もしていました。バスケ部の友達とは今でも帰省するたびに遊んでいる仲です。週に2回しか陸上の練習をしていなかったためそこまでいい実績は残せませんでした。高校の進学に迫った時、近場で強い高校はないかと探したところ岡山に倉敷高校という学校を見つけ、数回体験にも参加し入学を決めました。
高校では、寮で生活をしていました。いろんなエピソードがありすぎて書ききれないのですが、入学しての第1印象はまず監督が怖かったです。そして、今まで走ったことがないくらいの距離を走っていました。間違いなくどの高校よりも距離を踏んでいたと思います。高校での唯一の楽しみは日曜日の午後オフと帰省です。この日ために練習を乗り越えていたといっても過言ではありません。それ以外にもいろんなことがあったのですが最終的にはインターハイ出場と都大路準優勝という成績を残すことができました。
大学では、何回かレースに出たものの、良い結果を残すことができず、夏から故障して今もまともに走れていません。これから先どうしようか悩んでいるところです。どちらにせよ夢や目標を持ち続けて、常に挑戦していきたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。
次のブログは、4年の田岡航一さんです。
田岡さんは、同じ兵庫県出身で大の野球好きです。バリバリの関西弁でとても話しやすいです。
次回もよろしくお願いします。