2年 鈴木真琴
はじめまして!
田岡さんより紹介にあずかりました「ほとんど広島弁を喋らない島人」の鈴木真琴です。週末の記録会では絶対に田岡さんに勝利します。
ブログを書くのは初めてですが、こういった自分を語る機会や文章を書くのは好きなので、楽しんでみようと思います。
まず自己紹介をします。
私は1月10日に東京都江戸川区で生まれ、広島県尾道市にある島でのびのび育ちました。
将来の夢はシボレーのカマロを納車することです。2010年式以降の近代的なデザインが好みです。
性格はENTJ-T、AB型、これは日本人で0,101%の激レアキャラらしく、自分を大事に生きていこうと考えています。
趣味は多趣味すぎてきりがないので少しだけ。だいすきな「ヒロアカ」が単行本を含む完結を迎えてしまい、無限の“ヒロアカロス”に蝕まれています。しかし来年2月にはだいすきな「モンハン」の最新作が発売されるので、屍にならずに済みそうです。
次は陸上についてです。私が陸上を始めたのは高校からです。中学まではバスケをしていました。当時、実力の伴わない私が母校である広島県立西条農業高校の陸上部に入部できたのは、ひとえに中学時代の恩師のおかげです。
私が通っていた中学には陸上部がありませんでした。先生のご厚意で出場させて頂いた記録会。体操服で走ったのはいい思い出です。来月行われる成人式の同窓会にご出席くださるので、久々にお土産話ができたらと思います。
こうして思い返すと私は本当に、人に恵まれています。中高の恩師は当然のこと、治療等で携わってくださる方々、いつも応援してくれる家族には感謝してもしきれません。
家族への感謝という点だと、高校での地獄の寮生活が思い起こされます。ワンピースを読んでいる方は分かると思いますが、まさに“インペルダウン“です。高校1年生で親元を離れた最初の夜は涙をこらえた記憶があります。親のありがたみを認識した瞬間でした。
そんな軟弱な人間でしたが、2年時には14分台を出すことができました。3年時こそ思うような走りができませんでしたが、陸上を始めた時点で目標は箱根であり、大学でも競技を続ける強い意志がありました。
農大の選手としての陸上はこの2年間、順風満帆とは真逆でした。怪我が多く、夏合宿には一度も参加できていません。これは当然悔しいことですが、伸び代を残していると捉えるようにしています。
今年の全日本予選前はうまく走ることができ、メンバーにも選んでいただきました。しかしチームの足を引っ張る走りをしてしまいました。それ以降は怪我をしてしまいましたが、復帰後、現在は今までの陸上人生で一番調子が良いです。今週末のレースでは全日予選会のリベンジをしてやろうと思っています。
これからも鈴木真琴は夢と目標に向かって貪欲に、フルスピードで走り続けます。何卒、応援よろしくお願いいたします。
次回のブログは4年生のマネージャー、中山さんです。
マネージャー陣にケンカを売っているわけではありませんが、マネージャーの中で一番優しい方だと思います。
長い文章ですが、ここまでご覧いただきありがとうございました。次回もよろしくお願いします。